特定非営利活動法人 宮崎県ボランティア協会

MiyaKenVola じっくり、ゆっくり、たっぷり ふれあう ! —mkv.e-region.info—

所在地・時間

〒880-0007
宮崎県宮崎市原町2-22
(宮崎県福祉総合センター本館1階)
水曜:12:00~17:00
木曜:11:30~18:30
金曜:11:00~18:00
事務局担当者は日替わりです。詳細は上記メニューの「協会スケジュール」をご覧ください。

KENVOLA Twitter

  • 30 土 × × 宮崎市民プラザオルブライトホールの予約申請ページには9月30日(土)には使用申請了承済となっている。何が飛び込んでくるかわからない県ボランティア協会&MESC事務所に白いパテェシエ服姿の安藤義人さん現る。ちょうど過去には生活弱者をターゲットに炊き出し、安息所などをほぼ自力で展開し、事務所機能をここにも置いた青年が立ち寄っていた時間。私用だが、前回の盲導犬も来たライブハウス・ガーラムでの益を還元してくださった。やったあ!スイカ買うぞ!
    さて、お札とともに渡された練習用CDメディア。2曲必死に練習に入る曲。それがカーペンターズとアースウインドアンドファイヤーEW&Fのセプテンバー。関連性はないとも言えないが、9月になれば我が宮崎の地でもやまゆり園の事件について語り合うイベントが計画されて鋭意準備進行中。もうすぐ1年が経つ。新聞報道でもフォローアップされ、宮崎からの鎮魂!生きる意味を問おう!というお楽しみ付きフォーラムでゲストが県内外から多数集まる。
    事務所に一番身近な野海靖治ふれあいの旅実行委員長は、車椅子でも独り歩きできる世の中づくりをたった一人の孤独感の内に試行錯誤する生活実践中。何か人とのつながりへの手ごたえに不安な部分を吐露する。市民一人ひとりとの関係性構築は選挙運動なみの精力がいる。ただ出先で用を足すときのトイレに座らせてくれぬかという数分を断られるとしばらく気持ちの回復に時間が必要らし。慣れ過ぎた私のやり方はおもちゃ(ロボット)と見立て操作して遊んでるんだそうだが。

    黒木ひろたかさん作品わたぼうし8/20コンサート

    刷り上がって届けられたポスターのバックには暗雲瞑想の野海さん。今年のテーマは「伝えなきゃ」とある。長崎コンサートも同日、現地のわたぼうしが展開する。何万粒も種が撒かれ続け、たんぽぽの花は咲き綿の穂も実ってきた。とはいえ、土砂で押し流されたり自然同様に人間のすることにもむらができやすい。誰にでもおもてなしという標語の実効性にもむらが見える。すべてのことには関連がありそうだ。自発性を後退させず、ひるむ心を建て直す気持ちよ風になあれ。9月にはそんな風が吹いていることを目指し酷暑を耐えたい。セプテンバーの歌詞はこう韻を踏む。blueをtrueにしてshare!解放の鐘が鳴り響き、我が魂は唄わむ。黒雲立ちこめむ9月21日夜ぞ払い給えむ。頼みやすい店員さんをはじめとする市民が軽やかに9月になれば踊れるのかっ。また来週、お疲れ様と雨を予感したが外れたけどこれまた慣れたヘルパーさんと車上の人になった酉男。

  • 野望どまりだが、市制に一個はアイデアがある。それは、「活動」的な人なら誰もが経験しているだろうポスター貼りのことである。写真を撮ったようにようやく進化を遂げ雨にも強いファイルが準備されている。感謝ではあろうが、まだまだ広報を合法的に援助する掲示板へと進化をさせたい!と公約するのだ。
    地方代議士選挙と内閣改造とかは、相撲の力士名とともに自然とTVを通じ身についた昭和はざま世代も還暦越え。団塊が後期高齢者、ゆとりが大人期と世代も多様性に富む。定年前に柱を打ち立てときゃあ良かったものを!個の時代を促進した功労くらいかな社会との相関図。

    20170712-152810.jpg私は投票する時、判官贔屓的に弱者優先な入れ方をしたような気がする。傑作なのは、知事選の時、あまりの盛り上がりに当時(今もだが)茶髪でヤンママしてた長女が候補者の名を口にしたのを真に受けたが、本人は行かんかったつよなのだった。
    さて、市民活動の時代に小さな活動にも動員をかけるのは、民主主義の役割だろう。ギャラリーが集まれば集中力や投げ銭的に思わぬ結果だってできかねない。市民力は総力戦というやり方は時代性を帯び伝統としての祭りを成す。一方たった一人からの気づきの伝搬には前例なしという言い訳が通用し続け、人間関係の新機軸までもトップダウンしかないような気がしてならない。知らされない、ことの中に磁場が潜むことは、知らなくて良いとの排除が意図されていると意地悪に意地悪で返したくもなる。映画((1984))のとおりに、街中にディスプレーが目立ち出し、掲示板には何時の間にか小さな活動さえ探せなくなっている。自発性を励ますような掲示板の役割を左右する予算化に決定打は、場外から飛んでくる可能性を見よう!である。

  • 高鍋~秋月~朝倉
    気候変動による異変の頻発。えびの地震の時の家屋倒壊の記憶なども民泊した米倉さん宅「春ちゃんの菜園畑」で聴いた。年に数度福岡、関西からの中学生修学旅行を北きりしま農村民泊で受け入れている宿に大人男性が串間、都城、高千穂そして綾町から私と枕を共に。地域からならではの話題を土産話に、窯焼きピザ、翌朝のブルーベリー摘みなど酒宴と農的生活を楽しんだ。農体験の時間が待ちきれず早朝から2時間ほど地域名大明司を十の字に散策できた。二八の坂下バス停から登りカルデラの縁(へり)という丘陵を歩くと霧の中に畜産基地が拡がり、諏訪神社を下り川内川へ降りると霧か靄(もや)か霧島という名を思い知らされた。昔日、マッシュマッカーンのメガヒット「霧の中の二人」があったが、あくまでも霧の中に一人、クールなサウナを息しながら、泳ぐ感覚で吉都線の汽笛の方角もおぼろげな道中を無事帰着し、朝ご飯の席に座した。靄の中えびの市文化センターの大看板があって

    霧のえびので遭遇した稀有なイベント

    あの、みやざきアートセンターでも個展で観衆を魅了した隣県鹿児島の進化し続ける知的しょうがい者主体的組織がやってくる!との報。県内には二つの高千穂伝説があり、双方とも秘話をかもす。一夜を過ごしたえびのは相良(熊本)薩摩、飫肥とみつどもえの戦場の歴史を、さらに古代からも持つ。高千穂なら雲海だろうが。霧に包まれた地がその全貌を昼の光にあらわにする時、どんな者が飛び出してきてもおかしくはない。人間が制度に窮屈になる以前、自由度をエネルギーにして活躍したであろう気配は霧の中に眠り続け、遠い夜明けを待っていて、しょうぶ学園たちの姿をして躍り出るような静かなパワーを出していた。
    冒頭にリンクを貼ったのは、タイムリーにふくおかNPOセンターから配信されたメルマガより北九州豪雨支援ネットワーク情報として引用させていただいた。高鍋町と姉妹都市の朝倉市へは直接の募金支援のルートがある。先ずは行動に移すモチベーションを自分の中で増やす、地道な学び、それに至る体験として非日常の霧の中を歩いてみるのもボランティア的である。

  • 昨日、7月11日ふれあいの旅実行委員会(第5回)が開催され、ボランティアの群れを率いる公立大生3名の参加を得たと事務局日誌に山崎光代が記す。正午に鹿児島で発生した地震直後だったため〝コワイ”という不安感はぬぐえないが、それをとっ払ってやっていこう!と再認識!!と筆圧も強く記録にある。前回は宗像に宿したら、そこらあたりが世界遺産になるは、キャナルシティで爆買いツアーを繰り広げれば博駅前が大陥没するわで、世の話題が渦巻く処にふれ旅の軌跡がシンクロする。

    今日の野海さん

    これはボランティア活動体全般にあったことで「世界と活動のシンクロは何かを意味づける」のではという珍説はひゃらひゃーっと並ぶ。天の岩戸伝説以来、我々もこの世のストーリーテラーなわけ。一例のみ開陳すると、全国的なボランティア活動胎動期に青島に全国から800名が二泊三日の研究集会を繰り広げ宮崎からの発信としてもう伝説の域にあるのが平成元年2月11日のこと。会場を一か所で完結することができた観光宮崎のレジェンド橘ホテルは、最近も実は廃墟に地下空間が現存するというニュースできわどく歴史を刻印し続ける。バブル後営業は衰退し名前さえも消えた。しかしながらふれあいの旅が奇跡的に継続する内に、近場でというプランでこどもの国隣接のホテルで挙行された、公立大生が実動してくれはじめた頃、綾のクラフト展に迂回し、じっくり青島散策、サーファーや高校生までもが介助に駆け付け、ランチしたり、これまで泊りの参加が出来なかったボランティアも加わり、翌日には日南海岸もドライブという宮崎観光のモデルコースを堪能できたもんだ。そして、2017年の今、青島は観光の起点として確実な復活を!我々は時代の証人とおせっかいし続ける。

  • 木の梁が陽光を受けるホールは、半分はステージとフロア席、玄関から椅子席が並べられ音響も良く、初めと終わりには少女がスピーカーの前を吸い込まれそうに空気を泳ぐ。ラストナンバーの渡り鳥を聴いた時にはそのエピソードともデジャブにおちいった。井上ファミリーバンドがロングランを続けるハートツーハートチャリティーコンサートをあえて、施設つくしんぼのホールでという新鮮な経験を多数の来場者と分かち合えた。

    20170709-182615.jpg真新しい建物の出現を喜ぶメンバーの日常に観客として集まったのだが、難病や障がいという現象に触れた時のシチュエーションがこうも安心を保証されているのかと、ケアの現場力の強さを感じる。気持ちの上で先ず繋がる。聲をあげ、幕を突き破るジェスチャーはこの砦ではっせられるのが相応しい。演奏者たちのリズムに叫びには生きることに尽きる若く炎たつ精気が跳ね返りまばゆいほどであった。
    そして、来週の宮崎市民文化イベントホール編では、会場と観衆、演者、サプライズゲストならではの空気を吐き出してくれることだろう。客席の私を見つけてくれたスパイダーマンもトーク出演してコンサートに香り付けをなされる。

  • 清水町という名は新しく、黒迫という通り名で南北を幹線が貫く。10号線とに挟まれた区域に財部豊隆宅が。そのお隣が歯科技師専門学校。福祉総合センターから裏道を抜けると直ぐに学校となる。そこにポスターが出て、学園祭を告げる。へえ?そのイベントの存在を気に掛けてなかった、まったく。本日の野海さんの苦いつぶやきはズバリ!口が痛い!歯科受診後の痛みが3日後も引かない、のだ。まったく閉口状態。そこで、最寄りの歯科技術学校とじっこんになって、医療と福祉の壁を越えよう!と投げかけるも痛みの内には意欲も衰退模様。平静時には忘れ去っているのが実情。お隣に住んできた財部さんとて、猛暑にただただひねもす老体の御様子。歯だけではなく、鼻腔空間にも難がある野海さんには、残されたポテンシャルこそが書くこと。野海靖治旅日記がアプリ化され師匠と目す『松兼功翁の寄り添う般若心経』同様の柳の下のどぜうを目論むのである。

    松兼功さんの仕事はアプリからブックへ

    また、来週といつもの如く帰った後には、いつもの心地よい安堵感が漂ふ。仕事として通ったどんこやも辞めてひさしく、今春開業したあわいやへも自由に通うという野海さん。歯痛は余分だが、綾での岡田心平記念演劇賞に参加してきて、いろいろあるの口癖は行動のすばらしさに収斂されたよう。そして、ここは、決して取り込むことなく待つ空間、良い潮目を待つ事務所。人間以外にもリサイクル品も絶えず届けられる。時代が変わったからと言って都農町のベテランボランティア達のように継続の使命は堅い。産業革命以降人間性に変革が起こった。その革命に翻弄されもした。革命に革命では歯が立たぬ。人間は自身の人生を噛みしめながら、助け合い、生きるように生きた。また出会うためのさよなら。人間の最高のやり方。

  • ひそひそ星というプログラムを前回の映画祭では鑑賞した。監督した園子温さんのトークは御身内の急逝というハプニングで映画、映画祭さながらの急展開で刻印された。同時上映の大島渚氏の息子さんのドキュメンタリーには、手塚治虫に心酔した園子温さんのバックグランド、女優である妻との生活の一端と映画を生きることの意味が宮崎の観客の感性を掴んだ。

    惑星ソラリス


    幕間には、ロビーでファン同士のよもやま話も経験した。その夕べには県の重職の懐かしい顔もあり、ヤッド&PAみやざきの山之内俊夫氏と聴いたのが、海猿のロケ誘致のエピソード。
    まあ、単なる愛好者のイベントとあなどれぬ深化が集まることで生まれる。気持ちとひらめきの出会いが、出会うことで発生する。リピーターの山之内氏によればソビエトの監督特集が組まれ、期待が大きい。本日は、和田っちも合流し、11月のまあるい劇場関連の話題に広がる。大村なつみちゃんの母校での公演には野海さんも役で復活。来月にはMJでの大きなキラキラ公演も。梅雨はすで去ったに等しい明るい事務所である。

  • AME

    窓の外斜め見上げ「AME」と喜び顔半々で野海さん。大事をとって送迎ヘルパーを手配したのがあたったのだから。
    さて、施設という言葉の響きフィナキラシーというと不道徳だが、付き合う上で野海さんは顕著だが、脱施設主義を押し通すマイノリティ群へのまなざしを持つことは、我が生活を老後の終活の道筋でもある。通常、介護保険制度に準ずる形で10年早まる障害のある人の老後。かって措置という保障を得て活かされてきた近年。北欧並みにという構想共通理想は独自のプランへと進んだようだ。自立という公用語も定着しつつ施設優先の政策をニーズ対応へはシフトできないでいる社会。誰もが投資して益を生み、あらゆる選択肢に対応できる穏やかな福祉社会体系へは宇宙へ飛び出すくらいの困難さを打倒できるのだろうか。
    花を送る会後のアイスブレイクで「笑われた」と野海さん。佐土原のアトリエまで画伯を連れ出しに同乗したせいで、昼食にありつけず、いつもは口にしない菓子類を食べたい!と申し出たのが「笑われた」という。「入っても良い」ともまた、言う。肝心なところは社会から隔離されないことのようだ。社会参加を生活の一部にしていく生き方。そうそのことを彼も一緒にワークショップやらの講座・勉強会でさんざんしてきたのだから。社会をもっとおもしろくする使命感が自己実現と同じくらい難しいことを思い知らされた上での、施設内的人生非肯定なのであろう。社会というハーを常に引き寄せて居たい。さあ、野海さんの社会への恋しさは酉年にどれくらい報われるだろう。酉年から戌年へちょうど半年ではある。

    上京して 昼飯ぬいて 笑われた

    さて、花を送る会の帰路、私と斎藤泉画伯は野海さん同様昼飯抜きにたえること及ばず、うどんどなんに飛び込んだ。画伯の労いでごちであった。県美展に入選した構図の面白さが締切ギリギリだったという話を交わしながらうどんをすすった。話の端々からうかがわれるのは、画業を成すくらいだから社会性にはうとい、画業三昧の受注作成の日々のようだ。あたかもアトリエという施設に猫との暮らしといったところか。個と社会という世界観とは違う、絵の中のぼくの村のような創造生活もあるのだと狭い考えに風を感じた。こもる生活に耐えられる力と飛び立つ翼を両方持つに越したことは無い。そんな風な生き方を菊永恵子さんからも教えてもらった。

  • 還暦後の手習いでBAND MM(男4女3)に加わって一年が過ぎた。LIVE前の練習後、最若手のギターマンがケースに戻しながら「岡林信康ってすごいんですってね」と若手には初耳のレジェンドについて呟いてきた。他の男性陣はアフター還暦なので物知り顔で「うちがなんぼはよー♪」などすぐに反応した。県ボラでもコンサート誘致したのではなかった?と誤情報もでた。ディランが世界一の評価を受ける現代、国内での岡林は同等であろうから、県ボラコンサート説は光栄なことである。まだまだロックフォークが若者たちの宝であった80年代、福祉職員のバンドが関西系のレジェンドを呼んだりして我々も高石友也、坂庭省吾などに馴染んだ。もんだった。

    庭園「みんなの家ともしび」


    さて、福祉を包み込むようなコンサートとしても延岡、宮崎二週連続開催コンサートのハートツーハートも近づいてきた。サプライズの地元由来のゲスト等話題も先行しつつ、テャリティならではの大いに期待できる内容だろう。
    時代は繰り返すとも、進化するとも、退化するとも考えられる。音楽ラバーが遭遇するかってのフィーバー。社会が相手だあ!体制!大政奉還ではなく体制ハンターイ!言葉も運動もプレスされんぞー!が市民権を得ていた。宮崎でも金曜の草の根デモが現在形で存在する。市民力は絶えていないのかもしれない。
    個人的にはミーハーな中高時代だったので、ザ・タイガースの廃墟の鳩に感銘をうけた。宮崎市街地以外は何も知らなかった頃。廃墟の空に一羽の鳩がというキリスト教的教訓に納得した。同時期岡林は反体制の神様と目された。10年後ようやく私も実社会の構成員となりボランティア活動を宗旨とするように進化し、20年後にはリーダーのみこしに乗ってはしゃいだ。社会は同年の教祖が国家を震撼させた。そして、やはり同年の総理大臣が平成から次の世継ぎへバトンする。夜明けは近い~リフレイン。誰もが不必要な収束は避けて、世はダイバーシティ。好みが並列し、争わず、はしごを外さずして、廃墟には一機ドローンが良い知らせを運ぶ。そんな未来を迎えたようだ。【追加話題】 7/1のSaturdayNightLive(若草アーケード街@ライブハウスガーラム)での共演者は盲導犬とやって来るらしい。SANK5Gフロム牟田町。もう一つのバンドTAOUは日南から。我らMountainMouthは大塚台より。

  • 花山手にて、鶴を捧げる偲ぶ会。宮崎市&県ボランティア協会とが友人、ヘルパー、他・多団体へ呼び掛けたまれな試みは、遺された菊永ファミリーを力づける思わぬ成果を得たイベントとして見事にクリアした。
    ソフトウェアは県の事務所から発信、収集しストーリーの大枠を建て、静寂と盛り上がりを兼ね備えた会場の雰囲気づくりは市ボラのホーム同階の視聴覚室と両グループを使いつくした故人にぴったしのロケーション。
    市・県混合の実行委員会で固められたアイデアは折鶴を折って献花とする。献杯は桟敷に待機して頂いた主賓ともいえる納宏子さんにお願いする。スクリーンにはわたぼうしコンサートステージをお借りして上映する。3時間もの時間のふれあいは、市社協を退職されたばかりの坂本智子課長に締めていただく。そして同行者も含めると60名超の参加からの一言で個人を偲び、歌で彼女らしさに迫る。台本はこうだった。
    私は司会進行に専念したが、野海氏と佐土原のアトリエから画伯・斉藤泉氏をお迎えする送迎をやった。こんな風にスタッフ、参加者も自分のいつものやり方で通し意外性に満ち満ちた菊永恵子追想という体験をしたのだった。
    そして、思いを新たにし、力づけられ、何よりも絆の意味にさらにこころが開かれた体験を持ち帰ることができた。体験はおっくう、面倒、しがらみに巻かれる、用心用心といくらでも避けることが簡単。でも動き、出会いと体験なくしては人生は成り立たない。ぼんやり空想のままの境地は、永遠という並行する世界であって、多分この会場に彼女はいるという感覚を述べた人が多数のように、やはり、体験の場を作って、参加して良かったと深く明るい心が軽くなる思いが刻まれた。なお、オープニングに口火を切ったのはあわいやを名乗る最新の場を展開する生駒新一郎さん。